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今日は疲れていた。
それでいつもはシャワーで済ませているのを、風呂に入ろうと思い立ち、湯船に湯を張ろうとした。
ここで間違いやすいのは普通にお湯の栓を捻ると、シャワーから水が出てしまうこと。着衣のままだったので、勿論そんな真似をするわけにはいかない。
ちゃんとカランからシャワーへ切り替えて…
だばー。
…
…
…
…
なんで切り替えのつまみを回したつもりでお湯の栓を捻るかな?私は。
なんで着衣のまま行水せにゃならんのだ?
疲れていたからだ。そうに違いない。
「近代以降の自意識を抱えた人間は、まさに自意識を持つが故に自らを美しいとは感じられなくなった」<押井守>
自意識とは自分自身があると言うことを決定づける。しかし、それが故に相対的なものがあることを知ることとなり、結果、自己愛は肥大しつつ、自らの美しさを見なくなったと言っても良いのかな?
エゴが増大すればするほど、自らの醜さを知ることになる。と言うべきか。