まっとうな精神

マンガ界崩壊を止めるためには(2)
たけくまメモに書かれていることですが、確かに色々考えさせられる部分ではあります。かつてそう言った豪傑のような、ある種ネジがぶっ飛んでるような編集者がいたから、それが漫画家の個性と相乗効果を見せてとんでもないものを作り上げることがあったのでしょう。
漫画家の方は多分昔とはそう変わってないと思います。自分のパッションをぶつけて世に見せつけたい。という強い思いとコンプレックスのようなものがあってこそ商業マンガが書けるのではないかと思ったりもします。特に近年はマンガは同人誌でちまちま出すことも出来るし、ネットの発達によって、叩かれる度合いも高くなってるので、よほどのモチベーション無しには世に出そうという気概が持てないのかも。漫画家になる敷居は低くなったとはいえ、それに付随するリスクを背負って立たねばならないわけですから。
それに対して編集者の方がサラリーマン化してきたことで、齟齬が生じてきた。という事なのかも知れません。

たけくまメモに書かれているのは、普通表に出ない編集者の人達にとんでもない人がいた。という事ですが、これは何も漫画家に限ったことではなく、どんな業界でも、型に押し込められないような人間が業界をぐいぐい引っ張っていく構図というのはよく見られます。
もう何年もお会いはしてませんが、私にも一応師匠と呼べる人がおります。この人はまさに埒外な人物。無茶苦茶な人で、この業界では最も嫌われる人でありつつ、尊敬を集める人でもあります。私らの仕事に留まらず、様々な業種に多くの功績を残しつつ、名前は出てこないと言った不思議な人でした。この人の下に付いていたとき、何度泣かされたことやら…最後は半分逃げたようなものです。
その人を見ていると、確かに元々の才能が凄すぎる人でしたが、何より、数多くの修羅場をくぐることで、豪快かつ繊細な舵取りが出来るようになった事を思わされます。それこそ命に関わる修羅場をいくつも越えてきた人ですから(日本は平和とはいえ、いろんなところに危機はあるものですよ)。どんな業界でも深く入っていくと、こういった修羅場は経験しますし、現在まっただなかと言う人も多いでしょう。
ただ、この人の唯一の欠点は、後継者を育てられなかったと言うところでしょうか。私も含め“自称”弟子は数多いのですが、皆恐れをなして、真似しようとする人はいません…勿論私も含め。

ある意味、マンガというのは、そう言った修羅場をくぐることで出来上がってきたのかも知れませんね。ただ、それは右肩上がりの時。業界そのものが停滞してくると、編集の方のモチベーションが下がってしまってそう言った豪快な人物が現れなくなってしまい、それが漫画家との間に軋轢が出来るようになってしまった。

現時点で構造的な欠陥とするなら、これは本当に氷山の一角。まだまだ出てくるのでしょうね。

とりあえずこれが無事出ることを願いましょう。